永遠の追いかけっこ




「おいジーノ! それどういう意味だよー!」
「そのままの意味だよ。ナッツにはデリカシーがないって言ってるの」
 ロッカーの向こう側から言い争いの声が聞こえてきて、丹波と堺は着替えを止めて同時に顔を上げた。夏木が何事かわめいて、ジーノが冷ややかに応じている。このチームの中では既に恒例といってもいいほど頻繁に行われているやりとりだったが、丹波は何を思ったのか、突然吹き出した。
「あいつら、ほんと仲良いよな」
 堺がロッカーの前に座ったまま、怪訝そうな顔で丹波を見上げる。
「そうか? 俺にはただの煩い言い争いにしか聞こえないけどな」
「えー、それは表面だけ見過ぎじゃないか? だいたいさ、あのジーノがあんな顔するの、夏木の前だけなんだぜ」
「それはそれだけ夏木のことが気に入らないってことだろ?」
 丹波は着替えのシャツを羽織った後、得意げにチッチッ、と人差し指を振ってみせる。
「甘いね、良則くん。だいたい本気で気に入らないんなら、あのジーノのことだから、夏木のことなんか無視すると思わないか? それなのにわざわざ構ってやってるんだぜ? むしろ自分から絡みに行こうとすらしてる。これが仲良くないってんなら、一体何なんだよ」
 堺はしばらく不可解だとでも言いたげな表情を浮かべていたが、やがて納得したのか理解するのを諦めたのか、深く溜息をついた。対してボタンを止めるのに手を動かしつつも、ロッカーの向こう側をじっと覗きこむ丹波の頬は、先程から緩みっぱなしだ。
「なんかさ、喧嘩するほど仲が良い、って感じだよな」
「……お前、なんでそんなに嬉しそうなんだよ」
 堺が呆れたような口調で尋ねると、丹波はわざとらしく視線を宙へ向けた。
「べっつにー?」
「何だよそれ、気持ち悪いからやめろ」
 丹波は何事もなかったかのように堺の反応をさらりと流すと、急にぐいと身体を乗り出してきた。
「ところで堺、今日これから暇? 飯食いに行こうぜ、飯」
「ハァ? なんでだよ」
「いいじゃん。飯食いに行くのに理由が要る?」
 堺は着たばかりのシャツの襟を直しながら、バッグを肩に掛けた。
「そう言って、こないだも行ったばっかじゃねーか」
「何? 誘っちゃダメなのか? 堺そんなに俺のこと嫌いだったのかよー」
 口を尖らせながらよっこいしょ、とバッグを肩に掛ける丹波を見て、堺は溜息をつく。
「そんなこと誰も言ってねえだろ……」
「じゃあ行く? 行っちゃう?」
「そのノリが気持ち悪いっつってんだよ」
 ロッカールームの扉を開けながら、堺は振り返って丹波を睨む。丹波はおお怖い、とわざとらしく怯えたふりをした後、堺の肩をぽんぽんと叩いた。
「俺たちもあいつらと一緒で同い年同士だし、もっと親睦を深めたいんだよ。な?」
「もっともらしいこと言いやがって……」
 うんざりした表情の堺だが、積極的に丹波を拒絶することはないのが常だ。二人が初めて会った時から、ずっとこんな状態が続いている。他人に振り回されることを良しとせず、拒絶する時ははっきりと拒絶する性格の堺が、ここまで流されてしまうのは丹波相手の時だけだ。自分でも何故なのか、その答えが出たことはない。答えをずっと考えていた時期もあったが、今は考えるだけ無駄だ、という結論が出ている。
 ロッカールームを出る前、堺はちらりとジーノと夏木のいる方を振り返った。相も変わらず、飽きもせずにああして言い争いをしている彼らの姿が、何故か自分たちと重なった。反発し合っているはずなのに、何故か側にいないと落ち着かない。性格は正反対のはずなのに、何故か磁石のように引き付け合ってしまう、不思議な関係。
 彼らは極めて不器用なのだ、と堺は思った。一緒にいないと落ち着かないことは感覚的に分かっているはずなのに、お互い素直になれないせいで、ああして言い争いをする他ないのだ。その不器用さがあまりに哀れで、そっと呆れたように溜息をついてみるけれど、自分もあまり他人のことは言えないということに気付いて、堺は表情を引き締めた。丹波の誘いを一度は拒絶するふりをするくせに、結局それは本心ではないから、こうしていつも流されている。そんな自分がいる以上、彼らを哀れんだり笑ったりする資格など、堺にあるはずがないのだ。
 ばたん、とロッカールームの扉が閉まるのを聞きながら、堺は居心地の良さに流される自分を嫌悪し、そして意気揚々と前を歩く丹波が自分の側にいるということに、ささやかな幸福を感じた。


「やれやれ。サックはいつも素直じゃないよねえ、タンビーに対してはさ」
 今し方ロッカールームを出て行ったばかりの二人を見つめた後、ジーノが笑みを浮かべつつ首を振る。夏木が今気付いたとでもいうようにえっ、と扉の方を振り返り、もう一度ジーノの方を見つめた。
「堺さんと丹さん? 素直じゃないって、何がだよ」
「本当にナッツは鈍感だね、呆れて物も言えないよ」
 ジーノは非難するようにじとりと夏木を睨み付けながら、言葉を続けた。
「サックはさ、普段から無愛想だし、タンビーが誘ってもいつも嫌そうな顔してるじゃない? でも、結局、いつも一緒についていくんだよね」
「そう、なのか? 確かに堺さんが嫌そうな顔してるとこは、何度も見たことがあるけどよ」
 フフ、とジーノは微かに笑う。
「サックも素直になればいいのにね。自然体の方がきっと楽なのにさ」
「まあ、そうだよなあ……堺さんが本気でそう思ってたら、の話だけど」
「でも、ボクは少し素っ気ないのも可愛いと思うよ。男ってさ、逃げられると追いたくなるから。そう思うと、サックってなかなか高度なテクニックを使ってるよね」
 一人で納得したように頷くジーノの横顔を、ぽかんとした顔で夏木が見つめる。
「……ああ、でも」
 思い出したように、ジーノが付け加えた。
「素っ気ないにも色々と種類があるからね。それくらい、ナッツにも理解できるよね?」
「おい、お前どれだけ俺をバカにすれば気が済むんだよ!」
「だって、分かってて当たり前なことだって、ナッツは理解できてない時もあるじゃない。ホント、ナッツの頭の中を一度覗いてみたいよ。まあ、わざわざ覗きたくもないけどさ」
「どっちなんだよ!! ったく……それくらい分かるっつの。嫌いで素っ気なくしてんのか、好きだけど素直になれないから素っ気なくしてんのか、の二つだろ?」
「ナッツにしては冴えてるじゃないか」
 満足げに微笑むジーノを見て、夏木は悔しげに唇を噛む。ひとしきり笑った後、ジーノは急にすっと表情を引き締めた。
「言っておくけど、ボクは前者だからね。まさか変な勘違いはしてないと思うけど」
「は? 前者って……」
 一瞬ぽかんとした夏木の表情が、徐々に怒りの色へと変わっていく。
「おいジーノ! それってつまり、俺が嫌いってことかよ!?」
「ボクはいつも自然体だからね。誰に対してもありのまま、ってことさ」
「わざわざ今言わなくてもいいだろ! なんなんだよ……」
 怒り半分、悲しみ半分。ジーノはそっぽを向くふりをしながら、複雑な表情をする夏木をちらりと一瞥する。
 嫌い、好きという言葉で表せない感情があると知ったのは、この男に出会ってからだった。嫌いに極めて近い位置にいるくせに、ジーノの心はそれをどうしても嫌いと断言できなかった。そのことがジーノの中で葛藤を生んだ。自分の思い通りにならないことがこの世の中にあるということを、強く突き付けられることとなったのだ。
 それが嫌で嫌で仕方が無くて、何度もこの男の存在を自分の中から排除しようと試みた。だが、できなかった。そもそも同じチームにいるという時点で、それは無謀な話だったのかもしれないけれど――ジーノはそっと胸の辺りを押さえる。もう、後戻りはできなくなってしまった。彼の存在が胸の中に、焼き印のように刻み付けられてしまったから。
 堺もそうなのかもしれない。焼き印のように刻み付けられた存在を胸に抱いたまま、どうすることもできなくなっているのかもしれない。ただ、そのことを、心底嫌悪してはいないのだ。だから痛みを感じながらも刻印をなぞる。かさぶたができたら、痛さや痒みを感じると分かっていても、触りたくなってしまうのと一緒だ。日々濃くなっていく焼き印を、黙ったまま見つめて、時には幸福すら感じてしまう。
 ――ボクもナッツといる時、君と同じような顔をしているのかな? サック……
 勘弁願いたいところだとは思いながら、完全に否定できないのがもどかしい。全ての原因を作っている男――夏木を恨めしく思いながら、ジーノは息を吐き出した。



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「相反衝動」の深月さんに頂いたナツジノ+タンサク小説です!
わたし「素直になれない受け」がだいすきなので何度も読んではきもちわるくにやにやしていますw
ずうずうしくも二つのカプでリクエストしてすいませんでした…!家宝にします!^///^
本当にありがとうございました!
2011/4/26